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とーってもいいもの頂いちゃいました!! ファイルを作成して送って頂いたあやさん、本当にありがとうございました。 ☆ずっと工事中だった、この「MISCS」のページですが、パッションの思い出にまつわるエピソードなどを紹介していこうと思います。 その第一弾がこれです!まずはとくとご覧あれ。 You can't fall in love 映像 ※この映像を再生するには「Real One Player」が必要です。 こちら から無料でダウンロード出来ます。 <この映像の思い出・・・> あまり詳しく書くと色々な問題があると思うので、とっても割愛しちゃいますが、貴重な映像である事には違いありません。 2000人の人を目の前にして唄った記憶と興奮が蘇りました。 同じステージに立ったミュージシャン達の中でも特に記憶に残っているのは「Flying Kids」のボーカルの方とのライブ前の会話です。 当時デビュー話が持ち上がっていたそうで、人生の選択(デビューするかしないか)ですごく悩んでいると語ってくれました。 皆さんご存知の通り、「幸せであるように」が大ヒット。彼の選択は正しかったと思います。 色んなバンドがそこから巣立って行きました・・・ |
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あまりにも刺激の強い?お話なので、発表するのもためらいましたが、この際言っちゃえ。時効だよね・・・ 僕が加入した時には既に付けられていたこの「Passion Rose」というバンド名ですが、最近ではあんまり見かけなくなった 「明るい家族計画」の自動販売機で売られていた商品から取ったものだそうです。 確か不二○テックスという会社の製品だったような気がします。今はもう生産されていないようです。 自動販売機にはたいてい4〜5種類の商品があったと思いますが、Passion Roseシリーズには「〜Z」や「〜ミントゼリー」 といったラインアップがありました。 でも、読んで直訳すると「情熱の薔薇」。これですね、やっぱり。 |
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Passion Roseといえば、ライブ指向の強いバンドでした。 「もっとたくさんの色んな人に観て貰いたい」と思い、精力的にツアーもこなしました。 日本全国津々浦々とまではいきませんが、北は北海道の北見から南は九州の宮崎まで、色んなところを旅して回りました。 そういうツアーのみならず、近場でも僕たちの活動を支えてくれた機材車たちのトラブルの思い出話を紹介したいと思います。 まず最初に、HOPが書いてくれたメッセージでお話を紹介します。
まず、一番目の機材車、日産キャラバン号。 あれはデモテープの録音を大塚の某スタジオで終えた後の事でした。 徹夜の収録を終え、疲れきった僕たちはまぶしい朝日に照らされながらスタジオを後にしました。 そして「さあ、帰ろう!」とキーを回してもエンジンがかからない・・・バッテリーがあがっていました。 平らな場所で「押しがけ」をしようとしましたが、ウンともスンともいいません。 近くになだらかな坂道があり、その上から降りる勢いでエンジンをかけよう、という話になりメンバー全員で坂の上まで機材車 を押してから再挑戦! 無事にエンジンは目覚め、帰路に着く事が出来ましたが、重たい機材の一杯詰まった機材車を坂道で、しかも徹夜明けのブーツ で押しながら「何でこんな目に」と恨めしく思った記憶があります。 次に二番目の機材車、日野レインボー号。 警察の護送車にも使われていた車種だけあって、やっぱりでかかった。機材車というよりは「バス」という呼び方が相応しい。 でも、内部は前の座席部分がベッドになり、後ろの部分に機材を積めるという改造がしてあり、法的には「キャンピングカー」の 扱いだったものだから、高速道路の通行料金も普通車と同じ扱いでした。 車そのもののトラブルは、殆どありません。本当に良い車でした。 このバスにはHOPの書いた事故の他にもいろんな思い出がぎゅうぎゅうにつまっています。 なんせ、9割以上が僕の運転でしたからね・・・(でか過ぎてみんな運転したがらなかった) 特に苦労したのは、大宮フリークスでのライブ。 ライブ終了後に引き上げる時にはライブハウス裏側の通りから機材を搬出するのですが、その道の両側には自転車がびっしり。 自転車との隙間はバスの両側ともに2〜3センチしかないんですよ。鍛えられて上手になりました。 もし、あくせく仕事をする必要がなく、余裕があるなら、こういうバスを個人用に買って日本全国を優雅に旅してまわりたい。 僕のささやかな夢です。 最後の機材車、日産シビリアン号。 レインボー号を事故で失って入手した機材車ですが、こいつには本当に手を焼かされました。 新潟(だっけ?)からの帰りの関越道で、東京の料金所を丁度過ぎたところでエンジンが焼き付き。カンカンカンボシュー!! その後の話がまた泣ける。 自力で走行できなくなった機材車を引っ張って動かすために、REZYが急遽自家用車を取りに自宅まで帰ってくれたのです。 そして、ロープをかけて出発!・・・でも重たい機材車を普通乗用車で引っ張るのにはかなりの無理がありました。 REZYの車のロープをかけるフックは無残にグニャリとひん曲がり、バンパーも少し曲がってしまいました。 それでもなんとか動き出し、無事に自動車修理工場まで機材車を運んだのですが、悲運はまだまだ続きます。 REZYの車で送ってもらう事になった帰り道・・・ 「今日は散々だったねー」とか「機材車の修理代いくらかかるんだろう、痛いね」とか言いながら走っていると、道の脇から赤い旗。 そうです、ネズミ捕りにスピードオーバーで捕まってしまったのです。 ツアーが終わって二重三重に疲れ果てた僕たちに、年の若そうな警官が「バンド、やってんの?カッコいいね〜」とかぬかす。 本当に「はいはい、サインでもなんでもするから早く解放してくれ」というREZYの言葉が忘れられません。 (ちなみに捕まったのはREZY。REZY、あの時はありがとね。) 長ーい長ーい一日でした。 機材車とツアーの思い出、他にも一杯あります。 いつか必ず紹介しようと思います。 |
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